温泉博物館 名誉館長の 温泉ブログ

  温泉の科学や温泉現象について、わかりやすく解説します

湯治場の舞台裏

草津温泉ハンセン病療養

草津温泉湯畑泉源

草津温泉は古くから湯治場として知られていました。その効能を求めて、全国各地から身体を患った人々が訪れていました。特に皮膚病に効能が高いと伝えられた草津温泉には、明治時代になるとハンセン病を患った湯治客も多く集まるようになりました。そこでは健康の人も病気の人も一緒の湯に入ること(健病混浴)が行われていました。

 

ここから、ハンセン病に患う人たちが歩まざるを得なかった草津温泉におけるもう一つの歴史が始まります。

ある資料を読むと、草津温泉への観光客が増えると草津町は「次第に温泉街のハンセン病患者の存在が疎まれるようになっていき、温泉街から追い出す計画(資料の表記による)」を立て、明治20年に、ハンセン病に患う人々が住む集落を湯ノ澤に設け、そこに住まわせたといいます。

さらに、1930年代になると国はハンセン病患者の隔離政策を本格化させ、湯ノ澤集落が温泉街にあまりにも近いことから、温泉街から3kmほど離れたはずれに湯ノ澤のハンセン病患者を収容するための栗生楽泉園を建設し、移住を促しました。

 

ハンセン病療養施設「栗生楽泉園」

現在も、温泉街のはずれには「国立療養所栗生楽泉園」があり、その敷地内には、当時ハンセン病を患う人々を隔離して非人道的な重罰を処した「重監房」を記録展示する「重監房資料館」が併設されています。

栗生楽泉園の一画にある「重監房資料館」

 

草津温泉を訪れた際には、ぜひ「重監房資料館」を訪れて、本物の湯治場としてのもう一つの草津温泉を知っていただきたいと思います。