温泉博物館 名誉館長の 温泉ブログ

  温泉の科学や温泉現象について、わかりやすく解説します

モール温泉という概念を広めた「十勝川温泉」のこと

モール温泉とは

最近、「モール温泉」という言葉をよく耳にするようになりました。鉱泉分析法指針に位置づく正式な泉質名ではなく、北海道の十勝川温泉によって広められた「造語」に近いものです。「かつての湿地帯に埋没した植物起源の腐植質を含んだ黒褐色の温泉」の総称で、十勝川温泉が「世界中でドイツと十勝川温泉の二カ所しかない珍しい温泉」として売り込んできました。

十勝川温泉富士ホテルの「モール温泉」(撮影許可済)

「世界で二カ所」と説明する説明看板

「モール温泉」をPRする十勝川温泉のポスター

旅館の内風呂の案内ページ

もちろん決して世界的にも全国的に珍しい訳ではありませんが(道立衛生研究所の研究によると、北海道内だけでも33ケ所確認)、結果として「このような琥珀色や黒色の温泉」の概念を「モール温泉」という造語で広めることに貢献しました。道立衛生研究所の青柳氏は、「モール温泉という言葉は、ドイツのモール浴に由来しているようです」と述べています。「モール(Moor)」とはドイツ語で泥炭などを表わす言葉で、私たちにとっては高校の地理で習った英語読みの「ピート(peat)」の方がなじみがあるのではないかと思います。

「モール温泉」や「黒湯」などと呼ばれる温泉をもう少し詳しく言いうと、「地下の地層中に埋没した海藻や水辺の葦などの太古の植物が、バクテリアなどの微生物によって時間をかけて分解され、その結果生成されたフミン酸などの腐植質成分(有機物)を含む温泉」のように定義づけられるのではないかと思います。

前出の道立衛生研が道内の33カ所のいわゆる「モール温泉」を分析したところ、以下のような共通した特徴が認められたそうです。

① 温泉水の色に影響を及ぼす鉄イオンの濃度が低い。
アルカリ性や弱アルカリ性で低張性の温泉がほとんどを占める。
単純温泉アルカリ性単純温泉重曹泉及び食塩泉が多い。
④ 全体の7割は1000m以上の大深度掘削によって得られている。

モール温泉に共通する特徴

私がこれまで国内の多くの「モール泉として定義づけされそうな温泉」に入って来た経験では、少々おおざっぱではありますが、次のような共通点を感じています。

➀ 透明感のある褐色から黒色である。                      ② アルカリ性重曹成分を含み、入浴するとつるつる感がある。          ③ 微かな硫化水素臭がある場合がある。                      ④浴槽の表面で泡が立ちやすく、泡が消えにくい。

これらの特徴について、その原因を探っていきたいと思います。

モール温泉の定義?や特徴

どうして褐色~黒色の温泉になるのか

地下の地層中に埋没した「海藻や水辺の葦などの太古の植物」が、バクテリアなどの微生物によって時間をかけて分解されると、「フミン酸などの腐植質成分(有機物)」が生成されます。「腐質」ではなく「腐質」です。水に溶けたフミン酸は、光を吸収する性質があるため、「フミン酸を含む温泉の浴槽」に光が注ぐと、光は吸収されて浴槽内は暗黒世界になっていきます。その結果、透明感のある黒色や褐色に見えると考えられています。例えば、山川ほか(1960)では、「アルカリ濃度の増加はフミン酸の光の吸収を深色的、濃色的に変化させる」としています。

フミン酸など腐植質によって光が吸収されると考えられる

モール温泉はなぜ「つるつる」になるのか

地層中に埋没した植物がバクテリアなどの微生物の餌となって分解されてフミン酸などが生成される時に、微生物は大量の二酸化炭素を排出します

この二酸化炭素が地下水中に溶けると大部分は遊離二酸化炭素となって存在しますが、一部が炭酸になり、さらに炭酸が炭酸水素イオンと水素イオンに解離して、炭酸水素イオンができ、水中に蓄積されていきます。

特に海成の地層の部分では、海水由来のナトリウムイオンはもともと多く含まれていますので、こうして、ナトリウムイオンと炭酸水素イオンとからなる重曹泉や、重曹成分を含むアルカリ性単純温泉単純温泉などができあがる訳です。アルカリ性重曹成分は、皮脂を乳化(石鹸を作る作用)したり、角質のタンパク質を加水分解して軟らかくする性質があるため、その結果、摩擦力が小さくなり「つるつる」とか「ぬるぬる」と表現されるような肌触りになります。また、浴室の床なども非常に滑りやすくなります。チェックインの際にフロントで「お客さんはお酒をたくさん飲まれますか」と聞かれたので、何のことかと思えば、「とにかく浴室が滑りやすくなっているので、くれぐれも気を付けてください」とのことでした。

浴室の入り口に掲げられた注意書き

重曹成分が生成されるしくみ(あくまでも予想です!)

 

微かな硫化水素臭があるのはなぜ

地層中に閉じ込められた植物片などの有機物にはもともとメチオニンシステインなどの硫黄原子を含んだアミノ酸が存在しています。それらのアミノ酸地層中でバクテリアによって分解される際に、硫黄が分離して、硫化水素が発生することがあります。「モール泉」の場合は、比較的分解の程度が低いので、少量の硫化水素を伴うことになりますので、硫化水素臭を感じる場合でも「かすかな硫化水素臭を有する」温泉になります。

 

微かな硫化水素臭を伴う理由(予想です!)

 

「モール温泉」は泡が立ちやすいのはなぜか

「モール温泉」や「黒湯」と呼ばれる温泉に入ると、やたらと白い泡がたくさん浮かんでいる」のを目の当たりにしたことがあるのではないかと思います。

今まで述べてきたようなメカニズムにより、「モール温泉」は、フミン酸などの有機物を多く含むことになります。そのため、有機物を多く含むことから、浴槽の水面に白い泡ができやすく、できた泡も消えにくいという現象が認められます。

他にも、「ナトリウム―塩化物泉(食塩泉)」なども泡の立ちやすい泉質です。含有する食塩成分が多いため、粘性が高く、泡ができやすくなるようです。

「モール温泉」や「黒湯」、「食塩泉」の類でないのに、やたらと泡が立つ温泉浴槽は注意した方がよさそうです。循環式浴槽で湯があまり換えられていないような場合、人の皮脂が浴槽中に蓄積されていくと、有機物が多くなりますので泡が立ちやすくなります。要するに、人の皮脂や垢でお湯が汚れていることのサインなのです!

モール泉が比較的高温なのはなぜか

火山のない平野部において、地温勾配以上に高温の温泉が得られるのは、地下の地層の中に含まれる大量の植物が微生物によって分解される時に発酵熱を発生するためだと考えられています。ちょうど、酒造りの酵母菌による発酵の際に熱が発生したり、最近はやりの酵母風呂で温度が上昇して温浴ができるといったものに近い感じですね。

微生物が植物を分解する際に熱が発生(図は旅館の掲示より引用)

十勝川温泉の湧出のメカニズム

道の駅「ガーデンスパ地下地川温泉」や温泉旅館のホームページに、モール温泉が地下から湧き出す概念図が掲載されていましたので、道の駅のものを以下に引用させていただきました。

道の駅「ガーデンスパ十勝川温泉」HPより引用

帯広駅前のビジネスホテルの看板には「天然温泉大浴場」の大きな看板が誇らしげに掲げられていました。「モール温泉」で、日帰り入浴を受け付けているようでした。

帯広駅前のホテルも「モール温泉」

現在は帯広市を含む十勝平野のさまざまな場所から「モール温泉」タイプの温泉が湧き出していますが、十勝川温泉の場合は、地形的な特性から地下の比較的浅い場所から温泉が得られているようです。道立衛生研の研究成果に「道内のモール温泉の、全体の7割は1000m以上の大深度掘削によって得られている。」とあるように、全国的にも大深度掘削が進む中で、多くの「モール温泉」タイプの褐色の温泉が誕生するようになり、数えたことはないのですが、その数はかなりの数に及ぶと思われます。とてもとても「世界中でたった二カ所しかない珍しい温泉」ではなくなっているようです。

 

十勝川温泉、やや温めで源泉かけ流しの温泉にゆっくりと浸かることができました。とってもいい温泉でした。温泉は「大地の恵み」とよく言いますが、「腐った草木」の恵みがこれほど心地いいかと、感慨にふけることができました。