温泉博物館 名誉館長の 温泉ブログ

  温泉の科学や温泉現象について、わかりやすく解説します

「鹿教湯温泉」のこと

湯治場として歩み続けた鹿教湯(かけゆ)温泉

長野県上田市の郊外や青木村あたりに点在する小さな「歓楽的な要素のない素朴な温泉地」が好きで、たまに出かけます。田沢温泉、霊泉寺温泉、沓掛温泉、鹿教湯温泉などです。まさに「素朴」という言葉がぴったりです。古刹が多く「信州の鎌倉」と呼ばれる別所温泉はちょっと別格な感じです。

この中で、いつもは通過することが多い鹿教湯温泉に久しぶりにゆっくり泊ってきました。古くから湯治場として知られた療養温泉地です。

私が宿泊したのは家族経営の小さな宿です。硫酸カルシウム(石膏)を主成分とする無色澄明の単純温泉です。私にとって適温の「マイルドでやさしい」お湯がかけ流されていました。鹿教湯(かけゆ)温泉への温泉愛を込めて、「鹿教流し」と表記することに決定しました!

飲用できる澄んだ源泉が「鹿教ながされる」浴槽(撮影許可済)

日本温泉地域学会の初代会長である山村順次先生の論文(1976)によると、「戦後の交通条件の改善を背景に全国の療養温泉地が歓楽温泉地化・観光地化する中で、鹿教湯温泉は長野県厚生農業協同組合連合会が開設した鹿教湯温泉療養所の立地を契機として歓楽街化が進まず、全国屈指の療養温泉地として成長してきた」ということです。魅力的な何かがあるに違いありません。

変化する温泉地

鹿教湯温泉を訪れる度に温泉街の様子も変わっていきます。下の写真は先日(2025年8月)撮影した温泉街のようすです。

現在の鹿教湯温泉街のようす

そしてその次の写真は、今から26年前に同じ方向を少し手前から撮影したものです。

1991年に撮影した温泉街のようす

温泉街にあった商店がなくなったどころか、建物そのものもなくなり、雑多で活気のあった温泉街が少しこじゃれた雰囲気に生まれ変わっています。

温泉饅頭屋さんの背後を見てびっくり。8階建ての巨大な病院ができていました。2023年に完成したばかりの「長野県厚生農業協同組合連合会鹿教湯三才山リハビリテーションセンター 鹿教湯病院」という長い名前の病院です。三才山病院と従来あった鹿教湯病院が統合されて新しくできたそうです。「寿限無 寿限無、長野県 厚生農業協同組合 連合会、 鹿教湯 三才山  リハビリテーションセンター  鹿教湯病院‥‥パイポ パイポ パイプの 中に源泉が‥‥‥。」

 

温泉街に新しくできた鹿教湯病院

温泉療養は期待できるのか

湯治場としての長い歴史をもつ療養温泉地に建つ病院ですので「温泉に特化したような治療またはリハビリ機能」を備えているのか調べてみましたが、病院の説明の中には一切出て来ませんでした。念のためAIにも調べてもらいましたが、「温泉に特化した治療等は行われていない」とのことでした。もしそうだとしたら、ちょっと残念です。何年も前に岐阜県の「下呂温泉病院」の院長さんが、「名前に温泉病院とあるが、現在は温泉に特化したような治療等は一切行っていない。一般的な病院と同じ」と言われたことを思い出しました。

古くから温泉療養所を有するような温泉地です。鹿教湯温泉に関する温泉療法等の論文がたくさんあるだろうと思って調べてみました。意外にも少なく(数本)驚きました。経験的に効能を実感してきたものの、単純温泉の「エビデンス」を明確にするとなるとやはり難しいのでしようか。それよりも、「歓楽街化することなく他の温泉地とは一線を画して療養温泉地として発展してきた」ことに対する地理学的な論文の存在が目立ちました。

湯治場としての矜持

宿泊した宿は、湯治場の名残なのか「部屋食」でした。熱いものは熱く、ビールはよく冷えていました(ここが一番肝心です)。飲泉できるお湯が惜しげもなく鹿教流され、清掃時以外はいつでも入れて、布団は敷きっぱなし。温泉街で買ったおいしい温泉饅頭をいただきます。そこには温泉宿の「本質」のようなものがありました。

この温泉饅頭、おいしかった!

湯治場としての在りようを今に伝える素朴な温泉地の素朴な温泉宿で、心の湯治ができました。

 

追記‥‥宿の浴室の入り口にかかっていたこの暖簾は、ちょっと興ざめでした。「例の」温泉マークの存在。日本の温泉を「乗っ取られる」ような気がして‥‥。温泉を愛し続けてきた日本国民が受け入れなかったのは当然です‥‥。

浴室入り口の暖簾。「例の」温泉マークでは心が躍りません!